聖書 詩編33編1~22節
ヨハネによる福音書6章37~40節
説教題 「神への賛美」
「見よ、主は御目を注がれる 主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。」(18)
神は「人の心をすべて造られた」(15)とあります。神は人の心をご覧になります。私たちは神に心の内を知られているわけです。私たちがどこにいても、何をしていても、私たちがどんな状態であるかが、神に知られています。それなのに人は神を忘れて、自分たちの知恵で救いを掴もうとします。
だから「見よ」と言うのです。これは私たちに注意を促す言葉です。人間的な知恵に救いはない、ということをです。「主は御目を注がれる」。神があなた方に向けている温かな眼差しを忘れたのか、と言わんばかりです。その温かな眼差しは、「主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人」、つまり信仰者に対してです。
ここでの「待ち望む」という言葉には、将来に良いことが起こると期待しつつ待つ、という意味があります。「主の慈しみを待ち望む人」は、忍耐しながら救いを待つ信仰者を意味します。神に期待し、望みを捨てない人です。そういう信仰者に神は「御目を注がれる」わけです。神はご覧になっているのですから、お忘れになることはない、と捉えても良いかと思います。神の救いは必ず来るわけです。