聖書 エレミヤ書31章33~34節
    マタイによる福音書1章18~25節
説教題 「共におられる神」
「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」(23)
  預言者イザヤの言葉がここで引用されています。主イエスについて、「その名はインマヌエルと呼ばれる」と書かれています。「神は我々と共におられる」という意味です。主イエスとは、神が我々と共におられるのを表しておられるお方、と申し上げて良いかと思います。神が私たちに対して、どういう関係でいらっしゃるかです。神はご自分に背き、離れて行った罪人と共におられる。罪のために悲惨な状態にある私たちには、神が共におられるのが分かりません。そこで、神は共にいるしるしとして、主イエスを生まれさせました。
  神は罪人をお見捨てになりません。罪人が悲惨な状態にあるのをご存じです。悲惨さに気付かないでいる人たちに罪を気付かせ、ご自分のもとに戻そうと働きかけるのが主イエスなのです。その主イエスは復活なさったあと、弟子たちに告げました。「私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」(28:20)。主イエスは私たちを教会に集め、罪の赦しに与らせ、恵みを与えて神への信頼と望みを堅いものになさいます。私たちが生きている間だけでなく、死んでも共におられます。
週報12月22日