聖書 ミカ書7章18~19節
マルコによる福音書8章1~10節
説教題 「憐れむキリスト」
「イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。『群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。』」(1~2)
主イエスが「かわいそう」とお語りになりますのは稀です。ただし「かわいそう」という言葉そのものは、主イエスや神について語る際によく使われます。「憐れみ」と訳されます。どのように訳すにしても、主イエスは憐れみ深いお方でありますから、人の痛みをご自分の痛みとして感じておられます。見て見ぬふりをなさらず、助けの手を差し出されます。お腹を空かせている人が四千人いるなら、全員を満腹にさせてから家に帰らせます。できない、と人が思うようなことでも、キリストにはおできになります。奇跡さえ起こされます。キリストの憐れみは私たちとは違うからです。
キリストがかわいそうだと思われたとき、私たちに足りないものがあれば十分に与えてくださいます。かつての私たちになかったものは、神のもとにある安らぎでした。このままではかわいそうだとキリストは思われ、私たちの罪が赦されるよう神に執り成してくださいました。それが十字架でありました。私たちの痛みをキリストはご自分の痛みとされました。何も持たない私たちを恵みで満たすという奇跡は起きたのです。