聖書 詩編33編16~19節
    テモテへの手紙二 1章6~14節
説教題 「委ねられたもの」
「そのために、わたしはこのように苦しみを受けているのですが、それを恥じていません。というのは、わたしは自分が信頼している方を知っており、わたしにゆだねられているものを、その方がかの日まで守ることがおできになると確信しているからです。」(12)
  パウロは伝道者としての「苦しみを受けている」最中にありましたが「恥じていません」。苦しみを乗り越えようとします。というのは、パウロに「ゆだねられた」福音を、信頼している神が「かの日まで守ることがおできになると確信しているから」でした。パウロは福音を伝える伝道者でしたが、パウロ自身も終わりの日に永遠の命が与えられると信じて、本当に救われたのです。これが苦しみを乗り越える力になりました。
 しかも神は終わりの日まで「守ることがおできになる」のです。救いの確信を奪い取ろうとする悪の力から神が守ってくださいます。つまり、信仰を与えてくださったのは神ですが、その信仰を保たせるのも神なのです。ですからパウロが「ゆだねられている良いもの(福音)を聖霊によって守れ」(14)と命じていますが、力のない私たちが福音を守るわけではなくて、教会の内に住まわれる聖霊の助けが与えられる、ということなのです。