聖書 詩編33編8~11節
使徒言行録21章7~14節
説教題 「主イエスの名のためなら」
「そのとき、パウロは答えた。『泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。』」(13)
神が言われるとおりにしたいのだけれども、それをすんなり行わせない自分との間でせめぎ合いがあります。しかしパウロは人間的な思いを制するかのように、死も覚悟している、と申します。「主イエスの名のため」だからです。自分の主となられたキリストを何よりも大切にしたかったのです。キリストがご自身の命を献げて、自分を滅びから救ってくださったのだから、今度は自分がキリストのために献げようと決心したのです。
パウロが献金をエルサレム教会に持って行けば、彼らは喜ぶはずです。諸教会のキリスト者に感謝するとともに、諸教会に献金の志を与えてくださったキリストに感謝するはずです。キリストの御名が崇められるわけです。これがパウロの申します「主イエスの名のため」ということです。自分を捨ててキリストのために生きることで、自分はキリストに用いられます。人間的な思いとのせめぎ合いは残りますが、生きるか死ぬかは、もはや大きな問題ではなくなります。