聖書 詩編103編1~5節
    マタイによる福音書8章1~4節
説教題 「主イエスの御心」
「一人の重い皮膚病を患っている人がイエスに近寄り、ひれ伏して、『主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります』と言った。」(2)
  重い皮膚病の病人は律法の規定に反しても主イエスのもとに行って願うことにしました。主イエスならばどうにかしてくださる、と思ったからです。彼は主イエスに願う前に「御心ならば」と申しました。あなたがお望みになるならば、ということです。彼は自分の願いより先に、主イエスが病気を癒すのを望んでおられるかどうかを尋ねています。自分の願いはどうでもいい、ということではありません。願いを叶えていただきたいのですが、願いが叶えられるかどうかは、主イエスの御心で決まるということを、彼は言っているのです。自分の願いよりも主イエスの御心を重んじています。
  ということは、主イエスが病気を癒すことがおできになるかどうかを、彼はまったく疑わなかったということです。彼が「主よ」と呼びかけたのも、主イエスがすべてを従わせる力をお持ちの方だと信じていたからでした。願う相手は私たちの主でありますから、私たちを含めてすべてを治めるお方です。主イエスを自分の主と信じる信仰が、「主よ、御心のままになさってください」と言わせるのかもしれません。
週報7月7日