聖書 イザヤ書53章6~8節
マルコによる福音書15章1~15節
説教題 「沈黙するキリスト」
「しかし、イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。」(5)
総督ピラトによる裁判で主イエスは黙っておられました。主イエスは何もお答えになりません。ピラトが不思議がるほどでした。ユダヤ人が望んでいたとおり、主イエスも死刑になることを望んでおられたからではないでしょうか。主イエスの沈黙は主イエスの意思を表しますが、それは父なる神によって死が定められていたことによるものでした。主イエスが黙って死なれる。すなわち神が御子を与えて十字架で死なせる。これが主イエスの沈黙に隠された神のメッセージです。
主イエスが黙っていたおかげで助かったのが、人殺しで捕らえられていたバラバでした。バラバは人殺しの罪を主イエスに引き受けてもらいました。おかげで自分は赦されたわけです。バラバだけではありません。私たちは神のご意志に添わないことをして怒らせてしまいますが、怒らせていることすら気づきません。そのような私たちのために、主イエスは私たちのすべての罪を黙って引き受けてくださいました。私たちが罪を罰せられることなく赦されるためにです。神が私たちのために御子を死なせ、私たちの罪を赦す。これが神のメッセージでした。私たちは救われました。