聖書 詩編66編5~9節
ガラテヤの信徒への手紙6章11~18節
説教題 「キリストの十字架のみ」
「このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。」(14)
パウロは「キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはならない」と申します。「誇る」というのは、それを頼りにする、ということです。十字架のほかには頼りにしない。キリストの十字架だけを頼る。キリスト以前の救いの拠り所というのが、誰にでも何かしらあるわけですが、私たちはキリストの十字架だけで神から正しい人と見なされます。ほかに何かが必要でしょうか。キリストの十字架に勝るものは、ほかにはありません。キリストの十字架は私たちの罪を贖うのに十分です。
パウロが、キリストの十字架のみ、と語るのは、人々が十字架のキリストだけに絞り切れないことを見抜いているからではないでしょうか。「世」と言われる、古いあり方に引きずられやすいのです。しかし「世に対してはりつけにされて」、自分は世に対して死んだのです。罪の自分は死んで、新しい人として生きるようになりました。それも自分頼みではなく、新しく創造されていきます(15)。神の力によって新しく造り変えられます。