聖書 イザヤ書55章6~7節
    ヘブライ人への手紙4章14~16節
説教題 「恵みの座に近づこう」
「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。」(15)
  大祭司は年に一度、民全体の罪を贖うためにいけにえを献げる務めを与えられていました。手紙の著者は、主イエスを「大祭司」と呼ぶことによって、主イエスの業は大祭司の務めそのものであると言いたいわけです。なぜなら主イエスは人々の罪を贖うためにご自身をいけにえとして献げられたからです。そのおかげで私たちは罪を赦され、神の御前に立てるようになりました。
  主イエスは「わたしたちの弱さに同情できない方ではなく」とあります。私たちが苦しんでいるそばに来られ、主イエスも一緒に苦しみをお受けになります。「弱さ」というのは人が儚い存在であることから来ています。罪への抵抗力が弱いのです。主イエスは弱さゆえの罪を犯されませんでしたが、私たちと同じになられ「あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われました」。何と申しましても主イエスの最大の試練は十字架、すなわちご自分の死でした。このとき主イエスはご自分を退けられ、神に従い、私たちの贖いをなさいました。だから私たちの苦しみをよくご存じで、しかも私たちを神の御前に立たせることがおできになります。