聖書 詩編139編17~18節
コロサイの信徒への手紙2章6~15節
説教題 「キリストに満たされている」
「あなたがたは、キリストにおいて満たされているのです。キリストはすべての支配や権威の頭です。」(10)
キリストの内には神性が満ちあふれている、と九節で言われています。キリストは神であられるわけです。ですから私たちは、いつもキリストを通して神の一切を知らされ、神と共にいられます。それが「キリストにおいて満たされている」ということです。
ここで使われている「満ちている」という言葉は、空間的に一杯になった状態を意味します。もう何も入れられない状態です。教会の中がキリストで一杯になって、余計なものが少しも入らないのが、キリストに「満たされている」状態です。教会が神性に満ちたキリストそのものになるわけですし、教会の一部である私たちもキリストに満たされます。余計なものが入る隙間はありません。それにもかかわらずキリスト以外のものを頼りにしたり、拝んだりするならば、全く無意味ではないか、と聖書は私たちに問いかけているのです。
「キリストがすべての支配や権威の頭」です。つまりキリストは世の中のあらゆるものに勝るお方です。ご自身によって満たされている教会を悪から守ると同時に、私たちの頭となって、私たちの内に永遠に「宿って」(9)恵みを与えてくださいます。