聖書 イザヤ書35章3~5節
ヨハネによる福音書9章1~7節
説教題 「救いの業」
「イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。』」(3)
主イエスの前には目の見えない人がいました。罪を犯したから、罪の報いが降りかかって病気になるのだ、と人々は信じていました。ところが主イエスは、罪が理由で病気になるのではない、と言われました。「神の業がこの人に現れるためである」。
目の見えない人は主イエスの業によって癒されて、目が見えるようになります。これがきっかけで神の恵みに目を開かされ、神に心を向けるようになれます。一切は自分の過去とは関係なくて、神の業によるものであると告げ知らせずにはいられなくなります。神に栄光を帰するわけです。これが主イエスの言われる「神の業が現れる」ということです。
私たちは罪を犯したかどうかに関係なく、主イエスによって神の恵みに与ることができます。過去の自分にとらわれることから解放されて、あれこれと思い悩むことなく前向きに生きられます。神のために生きる、という人間本来のあり方に戻ることができたとき、私たちにも神の業が現されたのです。そのために主イエスは血を流して救いの業をなさいました。