聖書 詩編118編13~16節
ペトロの手紙一1章3~9節
説教題 「喜びに満たされながら」
「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。」(8)
ペトロはキリストを見ました。けれどもあなたがたはそうではない。「キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じている」。見ないのに信じている。ペトロにとっては驚くべきことだったかもしれませんが、まさにこれが信仰です。
私たちはキリストを「見なくても信じています」。私たちはキリストを信じたがゆえに、まだ見たことのない「天に蓄えられた財産」(4)をも、「見なくても信じています」。天の財産が与えられることへの希望が持てるようになり、神の国を目指して歩んでいます。試練に悩まなければならなくても(6)、信仰を拠り所にして前に進んでいこうとします。
そうしているうちに「すばらしい喜びに満ちあふれる」ようになっています。希望のあるところには喜びがあるのです。「それは、信仰の実りとして魂の救いを受けているからだ」(9)と言うのです。終わりの時に与えられる天の財産が「信仰の実り」として取り置かれています。最後に信仰の実りを受け取ります。そのときに私たちの救いは完成いたします。