聖書 哀歌3章22~24節
テサロニケの信徒への手紙一 5章16~24節
説教題 「神の望みのままに」
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(16~18)
喜び、祈り、感謝にはそれぞれ、「いつも」(16)とか「絶えず」(17)、「どんなことにも」(18)という言葉が加えられています。あるときだけではなくて、私たちが生きている間中ずっと、ということになります。置かれた状況に関係なく喜べ、祈れ、感謝せよ、と言うんです。教会生活はそういうものだ、と説いています。
そこでパウロは、「喜べ、祈れ、感謝せよ」で終わらせずに続けて申します。「これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」。この18節後半が重要です。私たちがいつでも喜び、祈り、感謝する理由は、神が望んでおられるからです。「キリスト・イエスにおいて」です。
神は「キリストにおいて」、私たちをお召しになり、恵みをお与えくださいました。つまり、私たちは主キリストとの親しい交わりを与えられて、恵みのもとに生かされていることを喜び、祈り、感謝できるようになります。「キリストにおいて」、私たちは神が望んでおられる、喜び、祈り、感謝に生きる者となれます。