聖書 列王記下23章21~27節
エフェソの信徒への手紙2章1~10節
説教題 「行いによらず、恵みにより」
「彼のように全くモーセの律法に従って、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして主に立ち帰った王は、彼の前にはなかった。彼の後にも、彼のような王が立つことはなかった。」(25)
 「しかし」(26)と、聖書の言葉は続きます。ヨシヤは律法を実行した、彼のような王はいない、と言いながら、「しかし」なのです。ヨシヤは神の御心に適う、善い行いをした。「しかし」なのです。「主は激しい怒りの炎を収めようとなさいません」(26)。神は怒っておられます。ヨシヤの善い行いをもってしても、神の怒りを宥めるには至りませんでした。
 その神は、「罪のために死んでいた私たちを、主キリストと共に生かしてくださいました」(エフェソ2:5)。生まれながら神の怒りを受けるべき者だった私たちを、主キリストの十字架によって和解させたのは、ほかならぬ神ご自身でありました。それで聖書は、「あなた方の救われたのは恵みによる」(エフェソ2:5)と、告げているのです。私たちが救われたのは、神の御心に適う、善い行いをしたからではありません。恵みによります。「私たちは恵みにより、信仰によって救われました」(エフェソ2:8)。神の怒りを受けるべき者が、一転して恵みを与えられました。