聖書 詩編116編8~11節
ローマの信徒への手紙8章26~30節
説教題 「神に召された者」
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(28)
生きていれば、厳しい試練に遭います。これらもパウロが言う「万事」の一部です。生きるのが辛く、大変なときに、「万事が益となる」という御言葉を、素直に受け入れることができるでしょうか。「益」と言われると、自分にとってのご利益みたいなものだと思ってしまいます。
ある聖書では、「益」という言葉を、「良い」と訳しています。万事が良い。私たちを良い方向に向かわせています。良い方向とは何でしょうか。私たちの究極的な目標は、神の子とされることにあります。これは神のご計画に従って召された私たちの目標であり、ここが私たちにとっての「良い方向」のゴールです。つまり、「益」というのは、この地上において見出しうるものではなくて、終末的な救いです。そして、これは神のご計画ですから、私たちに益をもたらそうとなさる、神のご意志が働いています。私たちに益がもたらされることで、神の善なるご意志が表されます。つまり、万事を治めておられる神が、私たちを救いに導こうとなさって、主キリストを犠牲となさり、万事を用いておられます。