聖書 エレミヤ書7章1~15節
ローマの信徒への手紙3章21~26節
説教題 「主の言葉に聞く」
「主の神殿の門に立ち、この言葉をもって呼びかけよ。そして、言え。『主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、皆、主の言葉を聞け。』」(2)
人は主の言葉に聞くべきなのに、むなしい言葉(4)だけを聞こうとします。このようにエレミヤは厳しく語りますが、ユダの人たちは悔い改めませんでした。主の言葉に聞き従わなかったのです。今日の箇所全体で、エレミヤは人の独りよがりな信仰を裁きます。神殿に行ったり、律法を守ろうとしたり、自分たちで何かをしても、滅びに向かうのを止められない、救われないと申します。主の御前に立たされるときに、私たちには為す術がないことを思い知らされます。主の言葉に込められた真実です。
けれども、パウロは語ります。「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」(ローマ3:24)。あなた方には為す術はないのだけれども、キリストによって贖いの業が十字架でなされた、と告げています。私たちには為す術がないと思い知らされたときに初めて、キリストの十字架という「主の言葉」に聞けるようになるのではないでしょうか。「皆、主の言葉に聞け」と、神は私たちに呼びかけておられます。