聖書 申命記7章6~8節
    コロサイの信徒への手紙3章12~17節
説教題 「教会に招かれた者として」
「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。」(13~14)
  神に愛されている(12)ということを踏まえて、パウロは今日の箇所の本題に入って行きます。相手から何かされても赦し、好意を持ち続けます。徹底的に赦し合います。ところが私たちには難しい。だからパウロは付け加えて言うのです。「主があなたがたを赦してくださったように」。主であるキリストは私たちの罪を赦すためにご自分の命をお献げになった。キリストによるその赦しを思い起こします。赦し合えない自分をキリストに赦していただいて、また新しい人として出発すれば良いではないですか。
  「愛を身に着ける」のも同様です。主が愛してくださったように、ということを抜きには考えられません。キリストに愛されたことによって、私たちは初めて愛する者になれます。「愛はすべてを完成させるきずな」です。愛は徳目の中で最高のものであり、教会全体を束ねるものになります。つまり愛さえあれば、良い徳目はすべて身に着いたも同然です。