聖書 イザヤ書35章4~6節
ヨハネによる福音書5章1~9節
説教題 「主イエスが来られて」
「イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、『良くなりたいか』と言われた。」(6)
ここに出てくる病人たちは神による救いを待つ人たちのように思えます。救い主が来られると聞かされて、長いこと忍耐しながら待っていました。そこに主イエスが来られたわけです。38年間病気で苦しんでいる病人をご覧になった主イエスは、「良くなりたいか」と声をおかけになりました。
主イエスはある人をお選びになって声をおかけになります。主イエスが先です。人は自分のところに来られたのがどういうお方なのか、何も知らないのです。つまり、主イエスが来てくださらなければ、また主イエスが声をかけてくださらなければ、私たちは主イエスに気づかないままになってしまうのです。
それにしてもどうして、「良くなりたいか」とお聞きになったのでしょうか? 主イエスはご自分が良くすることがおできになる、と気づかせようとしておられるのです。ご自分への期待や信頼を呼び起こし、ご自分を通して神の力が働くところを見させようとしておられます。ご自分がなさる御業に対して、人の心を開かせようとして語りかけてこられるのです。